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永観堂 禅林寺・大覚寺
2020年11月29日
お寺とか徘徊してます
今年は新型コロナの影響で何処にも行けませんでした。テレビでは今年も永観堂はすごい人だったらしいです。(写真は昨年の徘徊)
「永観堂」永保年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観おそし」と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。
 
 辺りは紅葉で、身も心も真っ赤になりましたー!happy01って…あのぉ〜ウルフちゃん パンツが後ろ前 逆でねんか?ちょっと振り向いて見てみたら?sad「ウルフばかし」


 

「大覚寺」大沢池〜日本最古の庭池〜
令和元年10月1日〜12月2日の五大明王像特別公開に行ってきました。 ここも昨年の徘徊。

 弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院である。いけばなの発祥の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の家元でもある。時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名である。
 ウルフ、五大明王の写真を撮ろうとしたら係の人に怒られましたsad撮影禁止エリアです。happy01

因みにウルフは「くさい・きたない・カス・クズ・気持ち悪い」の5Kです。happy01 頑張ります!