京都、奈良のお寺、全国のお寺、仏像、お城巡り、他

新着情報

2020年05月01日
お寺とか徘徊してます
 千本釈迦堂大報恩寺は今から約八〇〇年前、鎌倉初期安貞元年(一二二七)義空上人によって開創された寺である。本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護をうけ、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されている。義空上人は、藤原秀衡の孫にあたり、十九才で叡山澄憲僧都に師事、拾数年ののちこの千本の地を得て、苦難の末本堂をはじめ諸伽藍を建立した。・・・(パンフより抜粋)
 快慶の仏像があると言うので立ち寄った千本釈迦堂大報恩寺で偶然、昔仕事(PR〇)でお世話になった上〇さんにお会いしました「お〜福井から来たんか」上〇さんは受付で入場券、御守り販売や御朱印書を一人でやっていました。
 快慶・定慶作の仏像は本堂横にある別棟の霊宝殿内にズラーっと並んで展示されています。(下の写真、六観音菩薩像)
京都市上京区七本松通今出川上ル  
境内に無料の駐車場があります。https://www.kyoto-museums.jp/museum/north/952/ウルフは駐車場入り口がどこにあるか分からなかったので近くのコインPに止めました。(境内西側、民家の間に小さな入口誘導看板がありました)
 ウルフ「星野源さんとコラボしました〜!!」って・・
shadowあのぉ〜ウルフちゃん「うちで踊ろう、ひとり踊ろう」って言うてるやろ!annoy
それに、あれほど小池さんが「3蜜」「3蜜」って言ってるのに何回言ったら分かるんかの〜sad
 
九州国立博物館「快慶・定慶のみほとけ」展より
2020年04月26日
お寺とか徘徊してます
 長谷寺は、山号を豊山とし、朱鳥元年(六八六年)、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことにはじまり、のち神亀四年(七二七年)、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊十一面観世音菩薩を東の岡にお祀りになりました。徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、長谷詣、長谷信仰は全国に広がりました。
 ご本尊十一面観音菩薩は近江国高島から来た楠の霊木を用いて三日間で造り上げたといわれ、全国に広がる長谷観音の根本像です。御身の丈三丈三尺(十メートル余)、右手に錫杖を持ち、平らな石(大磐石)の上に立つ独特なお姿をしています。
(長谷寺パンフレットより抜粋)※普段は見れない十一面観音菩薩像。年二回の特別拝観日にしか公開されないそうです。

 
2020年03月28日
お寺とか徘徊してます
【大仏殿】(国宝)  
 現存の大仏殿は寄棟造、木瓦葺き。2階建てに見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、正面5間、側面5間の身舎(もや)の周囲に1間の裳階を回している。高さ46.8メートル、間口57メートル、奥行50.5メートルで、高さと奥行は創建時とほぼ変わりないが、東西の幅は約3分の2に縮小されている。建築様式は、鎌倉時代に宋の建築様式を取り入れて成立した大仏様(だいぶつよう)が基本になっており、水平方向に貫(ぬき)を多用するのが特色である。江戸時代にはすでに巨材の調達が困難であったため、柱は芯材の周囲に桶状に別材を巻き付けた集成材が用いられている。(Wikipediaより抜粋)
 今日の東大寺は新型コロナの影響で誰〜も居ません仁王像の周りにもひとっこ一人居ません。お陰でいい写真が撮れましたhappy01 のびーる君が写ってますが、気にしないでください。【柱くぐり】
 大仏殿を支える多くの柱の中の一本に縦37センチ横30センチの穴が空いていて、この柱の穴をくぐり抜けることで「厄除けの」ご利益があるそうです。
 早速、ウルフも柱くぐりやってみましたが、やっぱり周りのちびっ子たちに笑われました そして、この穴は大仏さんの鼻の穴と同じ大きさになっているそうです。早速、大仏さんの鼻でも穴くぐりやってみましたーsign03・・・って
 shadowウルフちゃん・これはアカンdespairこれは絶対にアカンdespair〜又怒られるわ〜wobbly 右から入って左から出てくるんけ?ウルフちゃんどんな体してるんやの? これは絶対バチ当たるわ〜despair バッカでねんかsign01
2020年03月23日
日本のお城、その他
別名 白鳳城、伊賀上野城
 昭和42年(1967年)旧城域一帯が国の史跡に指定されている。城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿および芭蕉翁記念館や伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地として利用され、各種イベントなどが行われている。長年日本一といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣や三重県立上野高等学校敷地内に武庫蔵が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存する。現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、公式には伊賀文化産業城という。(wikipediaより)
 新型コロナの影響で天守閣、他「休館中」の貼り紙がしてあり、目的のお城の中には入れませんでした。外観はコンクリートぽく見えますが木造らしいです。
 周りの施設も「休館中」で誰〜もいませんdespair せっかく新しいの持って来たのに〜happy01
2020年03月06日
お寺とか徘徊してます
 正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。これは、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとずく数を表しています。
 国宝「千体千手観音立像」10列の階段状の檀上に並ぶ1000体の観音立像。火災により焼失し1000体の中、124体は、お堂が創建された平安期の像、その他は鎌倉期に16年かけて再興された像。その約500体には作者名が残され、運慶、快慶で有名な慶派をはじめ、院派、円派と呼ばれる当時、多くの集団が参加したそうです。(三十三間堂HPより)
 左右、計千体の等身観音立像に囲まれて、お堂中央に安置されるのが運慶長男「湛慶」作 「千手観音坐像」座高が3メートル余あります。
 2018年に国宝の「風神・雷神像」と「二十八部衆像」の配置換えがあり前列にあった国宝「婆藪仙人像」(ばすせんにん)が中央の千手観音坐像の横に行き、近くで見れなくなったのがちょっと残念ですね。
 

 
 三十三間堂に来る前に「大徳寺」や快慶・定慶の作品が数多く(10体以上)並ぶ「千本釈迦堂 大報恩寺」にも徘徊しましたが、そこで昔、仕事でお世話になった上〇さんが御朱印を書いておられました。おまけに・・・。で、福井に帰ったら「大報恩寺」の宣伝をしてくれ。ということでした。(無料の駐車場もあります)
 東京国立博物館 快慶・定慶のみほとけ展CM